開国の父 老中・松平忠固

【031】『幕末の老中 松平忠固』あとがき≫

学術論文集『幕末の老中 松平忠固』あとがきに、

私のことを書いて頂きました。

身に余る光栄です。

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あとがき
 本書は2022年に発足した「老中松平忠固と生糸貿易研究会」の研究成果の一つである。同研究会は本野敦彦氏(東方商館株式会社代表取締役)からの寄附金を東洋大学・岩下哲典教授が受けて立ち上がった。
 本野氏は慶應義塾大学経済学部を卒業し貿易に関係する会社の経営に携わっていた関係で、経済・経営の観点から日本の貿易史を見直すようになり、日本が開港初年度から生糸で大幅な輸出利益を計上することができたのはなぜか、誰が生糸に目をつけて輸出の準備をしていたのか、という問題意識をもつようになったという。

 近代日本の貿易を牽引したのが生糸であることはよく知られている。生糸は安政六年(1859年)の横浜開港から昭和初期まで、ほぼ一貫して第一位を占めていた日本の主要輸出品であった。日本は生糸で稼いだ外貨でお雇い外国人を高給で雇い、高価な機械や艦船を購入した。江戸時代の日本の養蚕技術と生糸の品質が欧米で高い評価を得て、国際競争力を持ったという事実を抜きにして、近代日本の建設はあり得なかったと言っても過言ではない。これまで生糸貿易の先駆者というと、開港直後にいちはやく大量の生糸を輸出したパイオニア商人の中居屋重兵衛の名前が挙げられることが多かった。確かに中居屋重兵衛の功績は重要であるが、政治の力による政策的なバックアップなくして、商人の力のみでは輸出立国の礎を築けるものではなかった。
 本野氏は、当時の老中にあって開国派の筆頭的な存在であり、中居屋重兵衛と組んで開港直後に領内から大量の生糸を輸出した上田藩主の松平忠固こそ、生糸貿易のキーパーソンと考えた。生糸の将来性を見抜き、品質を改良し、輸出の準備をしていた先駆者として、2016年には松平忠固を主人公としたドラマ脚本を執筆するなど、忠固の業績を発信してきた。
 私は、2017年11月12日に、旧上田藩松平家家臣の子孫たちと有志たちが作る「明倫会」(会長布施修一郎氏)主催のシンポジウム『松平忠固公を語る講演会&トークセッション』に呼ばれ、本野氏と同席して以来、忠固についての史料や情報を交換してきた。このシンポジウムを契機に、私なりに研究を進め、岩下哲典氏の協力も得て、2020年に松平忠固の本を出版した。しかし、やはり忠固の生涯についての史料は不十分で、分からないことも多く、評伝と言える水準には至らなかった。知られざる老中松平忠固の実像、日本の開国と生糸貿易に果たした忠固の役割を実証的に明らかにしたい、これが本野氏の希望であった。そのためには、忠固に関する各地に眠っている史料を掘り起こし、研究を蓄積していくしかないだろうということになり、本野氏は自らが出資者となって研究プロジェクトを立ち上げることにしたのだ。以下、経緯を記す。
 そもそもは、2022年2月末、本野氏と知友宮崎航平氏の話し合いの中で研究プロジェクトの構想が持ち上がった。私が本野氏からその構想についての打診を受けたのは翌3月のことだった。私は岩下哲典氏や上田市立博物館館長(当時)の和根崎剛氏などに相談し、研究プロジェクトの立ち上げを模索した。様々な可能性を検討し、会合を重ねた結果、客観的・中立的な研究活動を遂行するためには、岩下哲典氏を研究会長として、東洋大学に研究資金を管理してもらった上で、幅広い研究者に呼び掛けて研究会を組織するのがよいだろうという結論になり、本研究プロジェクトが成立した。
 民間資金によって研究活動を展開するに当たって最も留意すべきは、資金の出資者と研究者は互いに独立し、客観・中立な研究活動を維持できるか否かにあろう。この点、出資者の本野氏は「松平忠固および生糸貿易について総合的な視点で研究する」という研究課題を依頼した以外には、研究内容には一切口を出さないという立場を貫かれた。公明正大な心で、研究活動を見守って下さった本野氏には感謝の言葉も見つからない。
(後略)

 

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