開国の父 老中・松平忠固

【100】日米修好通商条約は不平等条約ではなかった≫

日米修好通商条約は不平等でなかった

無能な幕府は外国におそれをなして開国した

おそらくそれが、一般的な幕末の開国の認識だと思います。

私も教科書でそのように習いました。

ですが、その不平等条約といわれる日米修好通商条約は、実は条約締結時は不平等ではなかったのです。

それどころか「むしろ日本に有利な形で締結された」と言われたら、「そんなバカな」と脳が拒絶反応を示してしまいそうです。

 

 

 

不平等の① 関税について

関税自主権がない

ということが不平等といわれる一つ目の要因ですが、実は関税は締結時は

一般品目は、20%で、これは欧米各国で取引される関税と同率です。

その他の品目での、漁具、建材、食料などは5%、酒類は35%

も併せて、これらの税率は欧米諸国同士で結ばれる条件と遜色ないものでした。

 

 

 

不平等の② 領事裁判権

不平等といわれるもう一つの要因が、領事裁判権の承認。

領事裁判権とは、在留外国人が起こした事件を本国の領事が本国法に則り裁判する権利です。

これを認めてしまったら、外国人は日本で犯罪を犯したい放題になる、という恐れがあります。

しかし、これも条約締結時は全く問題だにされませんでした。

なぜなら、幕府は外国人を野放しにするつもりがさらさらなかったからです。

長崎の出島を少し大きくした程度の横浜・関内(関の中)だけの行き来にして関外に自由に出すつもりがありませんでした。

それまでも犯罪を犯したオランダ人についてはシーボルトのように強制退去させていましたので、アメリカ人に対しても同じ考え方にすぎなかっただけです。

 

 

 

不平等には後からなった

実は不平等になったのは、1858年の条約締結から8年後の1866年6月。

一般税率が20%から、植民地状態にあった清国・インドと同じ5%へと変更され、輸出超過から輸入超過へ。

安価な輸入品が流入し産業資本の発達が著しく疎外されることとなりました。【改税約書

また、外国人の行動範囲も当初の関内から範囲がどんどん拡大されたために、生麦事件が起きたりしました。

不平等たる『関税』も『領事裁判権』も締結時は実は問題なく、日米修好通商条約とは我が国の外交にとってそれは見事な成果だったのです。

 

 

 

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