開国の父 老中・松平忠固

島津斉彬/西郷吉之助

【141】【一橋派 vs 南紀派】ではなく【政権 vs 政権交代派】≫

一橋派 vs 南紀派 という構図ではない

日米両条約締結の時期の政治体制は、今でも下記のように語られます。

一橋派 vs 南紀派

〇一橋派

阿部正弘、水戸徳川斉昭、松平慶永(春嶽)、島津斉彬、尾張徳川家、宇和島・土佐藩主など

〇南紀派

井伊直弼、松平忠固、紀州徳川家家老、溜間大名、譜代大名

しかし、このサイトは条約締結時にはそのような構図はなかったと考えています。

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【145】琉球・フランス条約で開国は始まった≫

ペリー来航7年前に開国は始まった

開国はペリーが来て始まったのではない。

その7年前の弘化3年(1846)琉球とフランス間の通商条約締結で始まったのだ -

という説があります。

この年、フランス海軍司令官セシーユ率いる軍艦クレオパトル・ヴィクトリューズ2隻が琉球に現れ、通信・貿易を強硬に求めます。

弘化元年(1844)に仏軍艦アルクメール、翌年にはイギリス測量船サマラング、さらに翌年の前年にはベッテルハイムが那覇に上陸・居住、入れ違いに仏軍艦サビーヌ来航と、切迫した中での1846年でした。

琉球は薩摩藩の支配下にあり、これにより開国の歴史は始まったのだ、ということです。

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【153】島津斉彬の輝かしい実績≫

島津斉彬の功績

島津斉彬が薩摩藩主となったのはなんと45歳。

それまで父・斉興が家督を譲らなかった為で、異国船襲来に際して同志である斉彬を藩主にすべく阿部正弘が介入して藩主にした、といういきさつがあります。

そして亡くなったのは50歳、実質5年しか活動していませんが輝かしい実績を残しています。

・洋式帆船、反射炉、溶鉱炉の建設

・ガラス、ガス灯などの製造

・ジョンマンジローの保護

・西郷隆盛の登用(これが何よりすごい)

・日本最初の国産蒸気船『雲行丸』開発成功

・日本人で初めて写真を撮ったのも斉彬

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