開国の父 老中・松平忠固

【153】島津斉彬の輝かしい実績≫

島津斉彬の功績

島津斉彬が薩摩藩主となったのはなんと45歳。

それまで父・斉興が家督を譲らなかった為で、異国船襲来に際して同志である斉彬を藩主にすべく阿部正弘が介入して藩主にした、といういきさつがあります。

そして亡くなったのは50歳、実質5年しか活動していませんが輝かしい実績を残しています。

・洋式帆船、反射炉、溶鉱炉の建設

・ガラス、ガス灯などの製造

・ジョンマンジローの保護

・西郷隆盛の登用(これが何よりすごい)

・日本最初の国産蒸気船『雲行丸』開発成功

・日本人で初めて写真を撮ったのも斉彬

 

 

 

首相・内務:阿部、商務:忠固、軍務:斉昭、外務:斉彬

いつの時代にも言えますが、「口だけの人」は信用できません。

斉彬の『殖産興業』、忠固の『生糸貿易』、実績が全てを物語ります。

阿部正弘は最終的に【首相・内務:阿部、商務:忠固、軍務:斉昭、外務:斉彬】という理想を描いていたと思われます。

阿部が存命だったら忠固も異論なく支持していた事でしょう。

しかし阿部が亡くなり統率者がいない状態で、これまで政務に関われなかった外様や親藩が政治になだれ込めば、幕府は崩壊すると危惧していた忠固は『実績のない』『家格だけの』直弼を大老に据えることにするのです。

 

 

 

 

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