開国の父 老中・松平忠固

松平忠固(忠優)

【149】『蚕都・日本一』は忠固の手腕≫

『蚕都日本一』は忠固の手腕

忠固の領地、長野県上田は養蚕の産地です。

忠固が領主であった天保年間(1830-1843)には、冥加金(領主に納める税金)200両を3年間納入し『本場』の地位を獲得、名実ともに日本一の生産地となっています。

禁絹令(田畑での桑の栽植を禁ずる法律)の敷かれる中で、河原や山腹に栽植することで桑園開発を行ったことを踏まえると、「日本一」の称号はまさに忠固の手腕と考えられるのではないでしょうか。

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【150】忠固の左腕・井戸覚弘≫

長崎奉行・井戸覚弘

忠固の右腕が勘定奉行・石河政平だとすれば、左腕は長崎奉行・井戸覚弘』と言えます。

井戸覚弘は忠固が大坂城代へ昇進した同じ年に、目付から長崎奉行に昇進します。

そして忠固が老中となって翌年に起きた事件が『プレブル号事件』であり、その対応をしたのが井戸です。

これは、ジェームス・グリン中佐を艦長とする米国戦艦プレブルが長崎に来航、米国人遭難者13名と日本で初めて英語を教えたラナルド・マクドナルドを引き取った、という事件です。

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【102】人事に見る忠固の権力基盤≫

ペリー来航時の内閣

「日米修好通商条約締結時に最も力を有していたのが忠固である」ことを示す人事を見ていきましょう。

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【157】ペリーの名や艦名、目的、時期さえ知っていた≫

クルティウスの書簡

その書簡は長崎と天文方、二つの訳文がなされました。(日蘭学会誌第13巻2号)

北アメリカ合衆国政府が日本に向けて同国との貿易関係を結ぶため、合衆国大統領の日本皇帝宛ての書簡一通を携え、かつ数人の日本人漂流民を連れた一使節が派遣させるとのことであり、また、北アメリカ人の為に、日本の一つの適切な港に石炭を貯蔵できるための許可を求めるとのことですが、その港を彼らは、彼らがカリフォルニアとシナとの間に計画している蒸気船の航行にとって必要としているとのことです。

予想される軍艦名は、軍用蒸気フリゲート艦サスケハンナ、コルベット艦サラトガ・プリマス他二艦が現在シナ海域にあり、最近受け取った幾つかの報告によれば、同海域には蒸気艦ミシシッピー、プリンストン、ブリック艦ペリー、運搬船サプライがいて、遠征指揮官は准将オーリックから准将ペリーに代わったとのことです。

第一次・第二次ペリー来航とほぼ合致しています。

当時のサンフランシスコ、おびただしいマストが見えます

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【103】出身は譜代筆頭・酒井家≫

酒井家の次男

忠固は、文化9年(1812年)姫路藩第四代・酒井忠実の次男として生まれます。

この「次男」であることがその後の人生を大きく左右したと思えます。

なぜなら、当時の武家社会は家を相続できるのは基本、長男のみが許されていたからです。

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【167】徳川斉昭が入閣、忠固は反対≫

徳川斉昭、入閣

ペリーが離日して約一か月後、御三家水戸家の徳川斉昭が入閣します。

これは政権にとって劇薬、諸刃の剣でした。

なぜなら、『御三家が内閣に入れば政治的権力を握ることになる、それは将軍家と御三家水戸家との間に権力闘争を誘発することになる』。

それは、家康が絶対に避けるために厳命した祖法であり、鎖国(そもそもこの当時鎖国という言葉も意識もない)よりも大事にすべき幕府の祖法だったからです。

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【104】江戸生まれ・江戸育ち≫

江戸生まれ

忠固は江戸生まれです。

実は当時の藩主の世継ぎは、その多くが江戸生まれです。

生まれも育ちも江戸で、家督を相続するまで地元に行ったこともない、という人も少なくありません。

忠固だけでなく、阿部正弘や島津斉彬もそうですね。

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【173】幕府史上、圧倒的な改革≫

怒涛の改革

ペリー離日から10日後、6/22将軍家慶崩御。

喪が明けるまでは控えていたのでしょう、8月に入ると堰を切ったように怒涛の変革を開始します。

8/1   ペリー国書を一般市民にまで公開

8/6   高島秋帆、出獄

8/10  水戸藩に西洋船『旭日丸』の建造を許可

8/26  台場造営を命令

9/8   浦賀奉行に西洋船『鳳凰丸』建造を命令

9/15  大船建造解禁

10/8  永井尚志を目付に登用、岩瀬忠震を後任の徒頭に

10/18 斉昭、大筒74門を献上

11/6  斉彬、15隻の艦隊製造を許可される

11/7  万次郎、旗本格で登用

11/23 将軍家定、就任

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【105】養父・忠学の人物像≫

忠固の養父・松平忠学

 

忠固は18歳で上田藩第四代藩主:松平忠学の養子となり、上田に初入部します。

忠固の養父・忠学とはどのような人物なのでしょう。

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【108】忠固が井伊直弼を大老にした≫

4月22日、忠固が大老要請

忠固が井伊直弼を大老にした -

このことが、水戸にある常盤神社の資料に記述されています。

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