開国の父 老中・松平忠固
【112】江戸幕府の出世コース≫
奏者番
忠固は藩主となった4年後の22歳の時に【奏者番】をいう役職に就きます。
奏者番とは、将軍と大名たちをつなぐ連絡係で、幕府の出世コースの第一歩です。
資格のある全国の譜代大名から20名程度が選ばれます。
外様大名やご家門・親藩は奏者番にはなれません。
出世コース
その20名から4名が寺社奉行となり、さらにそこから京都所司代・大阪城代各1名が選ばれ、出世レースの終点が政府閣僚たる老中です。
忠固は26歳で寺社奉行、31歳で鳥居耀蔵との政争に敗れ失脚、32歳で寺社奉行再任し大阪城代に、36歳で老中となります。
順調な出世、というよりは若くして政権の中枢で戦っていたことが伺われます。
外様やご家門はなれない
ちなみに、外様大名が奏者番になれない、すなわち出世レースに参加できないのは、言うまでもないですが徳川幕府転覆のリスクを避けるため。
そして、私も知りませんでしたが、ご家門・親藩も出世レースをすることができません。
これは、創始者の家康がお家騒動、すなわち親類間の骨肉の権力闘争を防ぐための知恵とのことです。
このルールがあったからこそ、幕府は250年も続くこととなります。
逆にいうと、この仕組みが崩れた時から幕府は崩壊の道を歩むこととなります。
人気の記事
- 【100】日米修好通商条約は不平等条約ではなかった カテゴリ: 日米修好通商条約
- 【164】最も印象的なペリーの日本評 カテゴリ: ペリー/アメリカ
- 【101】江戸幕府が既に『大日本帝国』を名乗っていた カテゴリ: 江戸幕府
- 【123】日本初の外資系企業は カテゴリ: イギリス/外資企業
- 【125】南京条約、香港がイギリスへ カテゴリ: イギリス/外資企業
- 【112】江戸幕府の出世コース カテゴリ: 江戸幕府
- 【124】アヘン戦争から日本の近代史が始まった カテゴリ: イギリス/外資企業
- 【163】ペリーの知られたくない事実を知っていた日本 カテゴリ: ペリー/アメリカ, 江戸幕府
- 【130】恐るべき佐久間象山の『海防八策』 カテゴリ: 佐久間象山/吉田松陰
- 【800】『日本を開国させた男/日米和親・修好通商条約締結物語』目次 カテゴリ: 映画ドラマ脚本
カテゴリー
最近のコメント
- 【150】忠固の左腕・井戸覚弘 に ATSUHIKO MOTONO より
- 【150】忠固の左腕・井戸覚弘 に 吉見 幸春 より
- 【008】御子孫からのメッセージ に 青木 より
- 【008】御子孫からのメッセージ に 青木 より
- 【008】御子孫からのメッセージ に ATSUHIKO MOTONO より
コメントを残す