7月2019
【158】ついにペリー来航≫
ペリー来航
58番目の記事にて、ようやくペリーが来日しました。
嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、ペリー艦隊4隻が浦賀に出現します。
ペリーは実は、太平洋を渡ってきたのではありません。
4カ月半かけて地球の4分の3回って、インド回りでやってきました。
ペリー側はそれを意図的に隠して「アメリカから20日で来られる」と強調し、実はまだ机上計算でしかなかった太平洋航路を使っているフリをするのです。
【157】ペリーの名や艦名、目的、時期さえ知っていた≫
クルティウスの書簡
その書簡は長崎と天文方、二つの訳文がなされました。(日蘭学会誌第13巻2号)
北アメリカ合衆国政府が日本に向けて同国との貿易関係を結ぶため、合衆国大統領の日本皇帝宛ての書簡一通を携え、かつ数人の日本人漂流民を連れた一使節が派遣させるとのことであり、また、北アメリカ人の為に、日本の一つの適切な港に石炭を貯蔵できるための許可を求めるとのことですが、その港を彼らは、彼らがカリフォルニアとシナとの間に計画している蒸気船の航行にとって必要としているとのことです。
予想される軍艦名は、軍用蒸気フリゲート艦サスケハンナ、コルベット艦サラトガ・プリマス他二艦が現在シナ海域にあり、最近受け取った幾つかの報告によれば、同海域には蒸気艦ミシシッピー、プリンストン、ブリック艦ペリー、運搬船サプライがいて、遠征指揮官は准将オーリックから准将ペリーに代わったとのことです。
第一次・第二次ペリー来航とほぼ合致しています。
当時のサンフランシスコ、おびただしいマストが見えます
【156】ペリー来航を知らせたクルティウス≫
出島にクルティウス来日
ペリー来航1年前、オランダ商館長(カピタン)にヤン・ドンケル・クルティウスが就任します。
出島で作成したオランダ風説書に加え、パタヴィアで作成した別段風説書をもって、1年後のペリー来航を幕府に知らせます。
来日1か月後には阿部・忠固政権は『軍艦・大砲建造の意見書』を将軍家慶に提出。
これだけのスピードで過去2百年余りの法律を変えようと動く政権を『無能』呼ばわりする歴史家がいらっしゃるのは、私には理解に苦しみます。
【155】マンジローとルーズベルト家とペリー家≫
ホイットフィールド家とデラノ家
漂流したジョン万次郎を保護し米国で養子として育てたウィリアム・ホイットフィールド船長。
ホイットフィールド家の向かいに住んでいた船乗り仲間のワレン・デラノは万次郎のことを可愛がりました。
このワレン・デラノは、フランクリン・D・ルーズベルトの祖父にあたります。
ルーズベルトのミドルネーム、Dこそが『デラノ』です。
F・D・ルーズベルトは万次郎の長男に手紙を書いたこともあります。
【154】非常の人、佐久間象山≫
非常の人、佐久間象山
非常の時には、門閥制度の上に安住した地位の高い人は何の役にも立たない。
その制度の下で尊ばれたエートスの人ではなく、その制度を超越するような非常の才が出現しなければならない。
いや、そのような人物しか非常の時を乗り切り、新しい時代を切り開いていくことができないのである。
非常の才とは何か。それは象山でいえば、ペリーのたった4隻の軍艦とその行動を見て一瞬の内に「これはアメリカと戦争したら勝てない」と見抜く観察力と知識である。
いや、すでにそのことをアヘン戦争の情報から判断して「西洋式の軍艦や大砲を作らなければ、日本はアヘン戦争における清国と同じように負ける」と予言する能力である。
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