開国の父 老中・松平忠固

【156】ペリー来航を知らせたクルティウス≫

出島にクルティウス来日

ペリー来航1年前、オランダ商館長(カピタン)にヤン・ドンケル・クルティウスが就任します。

出島で作成したオランダ風説書に加え、パタヴィアで作成した別段風説書をもって、1年後のペリー来航を幕府に知らせます。

来日1か月後には阿部・忠固政権は『軍艦・大砲建造の意見書』を将軍家慶に提出。

これだけのスピードで過去2百年余りの法律を変えようと動く政権を『無能』呼ばわりする歴史家がいらっしゃるのは、私には理解に苦しみます。

 

 

 

日本の恩人

クルティウスはペリー来航を知らせてくれただけでなく、あの咸臨丸を発注し、勝海舟はじめ多数の人材を育てた海軍伝習所の設立、カッケンディーケなどの教官の招集、欧米との付き合い方などをとても友好的に指導してくれました。

日本の恩人の一人と言えるでしょう。

彼の資料はライデン大学に寄贈され、【お知らせ】に掲載したペリーの贈答品である1/4機関車の画像もライデン大学からお借りしました。

 

 

 

 

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