開国の父 老中・松平忠固

【141】【一橋派 vs 南紀派】ではなく【政権 vs 政権交代派】≫

一橋派 vs 南紀派 という構図ではない

日米両条約締結の時期の政治体制は、今でも下記のように語られます。

一橋派 vs 南紀派

〇一橋派

阿部正弘、水戸徳川斉昭、松平慶永(春嶽)、島津斉彬、尾張徳川家、宇和島・土佐藩主など

〇南紀派

井伊直弼、松平忠固、紀州徳川家家老、溜間大名、譜代大名

しかし、このサイトは条約締結時にはそのような構図はなかったと考えています。

 

 

 

政権  vs 政権交代派

年表1が投稿完了した時点ですが、何となくお分かりなのではないでしょうか。

それは、阿部正弘・松平忠固政権が将軍家慶・家定の厚い信頼の元、確固たる政権だったということ。

政治的構図を強いて挙げるならば、政権 vs 政権交代派

〇政権

将軍(家慶・家定)、老中首座・阿部正弘、老中・松平忠固ほか4名

〇政権交代派

徳川斉昭、松平慶永、島津斉彬、井伊直弼、紀州家以外の御三家、野心ある外様大名

要は一橋派・南紀派と言われる人々は、それぞれ政権入りを目指す運動をしていただけに過ぎません。

隠された真の勢力、それが阿部と忠固の政権であり、二人の一枚岩ぶりを証明することが認識を大きく変えることに寄与するのではないでしょうか。

 

 

 

阿部正弘政権を評価

歴史的資料として高く評価されている明治・大正・昭和のジャーナリスト・徳富蘇峰は、阿部正弘を「無定見で無見識でその日暮らしの政治家」と評しています。

松平忠固に関してなどは罵詈雑言に近い酷評で、学術的にもそのような見解がデフォルトとなっているようです。

しかしながらこのサイトでは、阿部正弘政権が行った驚異的ともいえる改革の数々を検証しながら、阿部正弘政権、そして松平忠固の本当の実像に迫っていきたいと思っております。

 

 

 

 

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