開国の父 老中・松平忠固

【915】第8話 A3 『天保の大飢饉』≫

○山道
山道を歩く忠優(23)と剛介(34)、藤井三郎左衛門(51)。
幕府役職のピラミッド。
N「藩主に就任してから5年後の天保5年(西暦1834年)、忠優は幕府の役職である奏者番に任ぜられた。奏者番とは譜代大名から20名程度が選ばれる将軍と大名・旗本との連絡役で、大目付・目付と並ぶ枢要な役職であった。出世の登竜門的な役職であり、奏者番のうち4名が寺社奉行を兼任、さらにその中から京都所司代・大阪城代につき、最終的に老中に就任するというのが出世の道である。ちなみにこの奏者番時の忠優の師範役が堀田備中守正睦だった。忠優この時22歳」
堀田正睦に指導を仰ぐ忠優。

 

○丘の上
歩いている3人が丘の上に出る。
山間の農村を見渡せる丘に佇む三人。
『天保7年(西暦1836年)8月』
N「それから2年後の天保7年、忠優は国許である上田に帰っていた。天保4年から続く大飢饉が4年目に入り領民の生活は窮乏を極めていたからだ」
照り付ける太陽。
枯れ果てた田畑。
ため息では水位が下がり、湖底が見えている。
3人の険しい顔。

 

○農村
人々の姿はまばらである。
遠くに枯れ果てた田畑の中で疲れ果てながらも作業をしている人がわずかに見える。
軒下で座り込む人々。
木の下で寝ころぶ人々。
忠優「ひどいものだな」
爺「はい。天保4年に飢饉がおきまして今年で4年連続で続いています。もはや大飢饉といえましょう。下々の生活も限界に来ています」
忠優「・・・」
道端で野犬が数匹たかっている。
近づく三人。
忠優「うっ」

険しい顔。
犬の傍らに服が見える。
飢えて息絶えた人の死骸をむさぼっていたのだ。
忠優ら「はーっ」
犬を追い払う三人。
三人「・・・」
その悲惨な光景に言葉を失う三人。
ふと、傍らに落ちている鍬を見つける忠優。
鍬を持ち、大きく振りかぶって打ち付ける。
打ち付けたのは死骸の脇、穴を掘り始めたのだ。
剛介「殿、そのようなことは我らが」
忠優の悔しそうな表情。
忠優「くそっ」
飢饉に指をくわえて見ているしかない自分の非力さに覚える怒りをぶつけている。
剛介・爺「・・・」

 

○山々
照り付ける太陽。

 

○農村
死骸が埋葬され、こんもりと土が盛られ、その上に石が置かれている。
その墓に向かって手を合わせる三人。
剛介「もはや節約や切り詰めでしのげるような状況ではござりません。いったいどうしたらよいでしょう」
忠優「・・・」

 

○道(夕)
夕日に照らされる侘しい風景。
歩いている忠優ら三人。
歩いている先に人だかりができている。
3人「・・・」
さっと剛介が忠優の前に出て警戒する。

 

○藩の役所(夕)
大勢の人間が押し問答している。
役人A「だめだったらだめだ」
村人A「もうそれしかないだ。米を出してもらうしかないだ」
村人B「もうみんな飢えてるだ。せめて女子供が食う分を蔵からだしてくだせえ」
役人A「何度言わせる。出せん物は出せん。えーい。帰れ帰れ」
4,5人の役人が棒を持って村人たちを門の外に出そうとしている。
その様子を見ている3人。
爺が忠優に耳打ちする。
爺「藩の備蓄蔵でございます」
忠優「蔵には米はあるのか」
爺「はあ、あることはあるかと思いますが、分けるほどはござらぬ。それに、一度情けで拠出すれば次もこの次もと施しを当てにし、農民は働かなくなる、ということに相成りますので、備蓄米の拠出は厳禁となっております」
忠優「・・・」
歩き出す忠優。
爺「と、殿」
爺の制止を振り切る忠優。
すかさず警戒しながら脇に従う剛介。
忠優、人垣の脇から役人たちに近づく。
役人A「な、なんだ。お前は」
忠優「蔵を見せよ」
役人A「なんだぁ」
爺「いけませぬ、お忍びですぞ」
先に進もうとする忠優に対し、役人が制しようとした刹那、すかさず剛介が前に立ちはだかり、役人Aの腕をにじりあげる。
役人A「いててて」
ばっと役人を放り投げる剛介。
役人達「なんだ、なんだ」
役人たちが集まってくる。
役人B「狼藉か」
役人C「なんだ、おまえら。ぶちのめすぞ」
爺「ええい、やむをえまい。貴兄ら、控えろ、恐れ多くもわが上田藩主松平伊賀守忠優様なるぞ」
役人達「へ?」
爺「ほれ、信平」
一番後ろにいる男に話しかける爺。
振り返る役人達。
後ろにいる男、信平。
信平「ご家老様、なしてこんなところに」
爺「お忍びで殿が巡見しておるのだ」
信平「え、すると・・・」
ばっと表情が変わり、焦って下座に向かい平伏する信平。
信平「皆の者、殿であるぞ。このお方が殿でござるぞ」
皆驚き、信平に従い、平伏する。
村人達も役人達の後ろに後ずさりし、みな平伏する。
忠優「信平と申すか。すまぬ。急に来た。日々ごくろうであるな」
信平「は、もったいなきお言葉」

 

○蔵の中
米俵がわずかながら積まれている。

 

○前庭
蔵の扉が開いている。
庭には村人たちが正座で座っている。
一同「・・・」
静まり返っている。
忠優「見ての通りだ。備蓄はこれしかない」
一同「・・・」
忠優「我が上田藩五万三千石。天保四年の損耗高は五万一千五百五十六石。ほぼ壊滅といってよい」
爺「と、殿。そのようなことを・・・」
手で制す忠優。
忠優「決して上が不正に溜め込んでいるわけではないのだ」
一同「・・・」
爺「・・・」
忠優「だが、この蔵の米は汝らに拠出する」
一同『え?』となる。
ざわつく一同。
爺や役人達も驚いている。
忠優「今は質素倹約に努めてしのぐのじゃ。城内も同じだ。今度、我の帰国祝いの宴席もあるな。それも簡素にせよ」
爺「え、で、ですが宴席は儀式として必要な・・・」
忠優「大丈夫だ。もし足りなくなれば他領より廻送すればよい」
爺「え、いや、そうじゃなくて」
忠優、立ち上がり
忠優「我は先週国に帰りし後、国の現状をこの目で見てきた。つらい状況だ。だが乗り越えなくてはならぬ。それには農民も商人も武士もない。皆で乗り越えなくては今回の大飢饉は乗り越えられまい」
民衆「・・・」
忠優「これを乗り越えるために、まず一人最低限度、蔵の米を割り当てる」
民衆「わー」
どっと沸く民衆。
信平が振り向き、押さえろのデスチャー。
忠優「少ない消費で賄っていくためには贅沢を戒めねばなるまい。不正などもっての他じゃ。それゆえ皆も米が支給されたからといって安心してはならぬ。この飢饉はいつまで続くかわからん。そこで・・・」
忠優、周りを見回し、ある木に向かって指をさす。
一同「?」
忠優「分からぬか、桑じゃ」
一同「・・・」
忠優「米ができなければ他の物で補うのじゃ。我はそれを養蚕であると思っている」
爺「ですが殿、田畑への桑の栽植禁止のお触れは如何に。それに、米作の減少を嫌って他藩ではどこも行っておりませぬが」
少し考え込みながら、二三歩歩く忠優。
忠優「皆、日頃より嘆いておるではないか、『上田は山々に囲まれ、しかも河川が多く平地が少ない。ああ越後など米処がうらやましい』と」
一同「?」
忠優「上田にあふれるほどある河原の荒れ地や山腹の傾斜地。これらに桑を植えれば植え付け禁止令に違反することにならない。それは公儀にも確認した」
一同「ええーっ」
忠優「他藩はやらぬ?他藩は他藩、上田は上田じゃ。我ら信州には養蚕がある。これをさらに奨励し、大坂をはじめ全国に販売するのじゃ。それによってたとえ不作が続こうともそれを補う国の体質を作るのじゃ」
どかっと座る忠優。
みな、忠優を羨望の目で眺めている。
爺「・・・」
剛介「・・・」
信平「・・・」
役人「・・・」
民衆「・・・」
分かった者から平伏していき、やがてみな平伏する。

 

 

 

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