開国の父 老中・松平忠固

【116】12代将軍・家慶は凡庸だったのか、否≫

12代将軍は凡庸な人!?

12代将軍・家慶にどんな印象をお持ちでしょうか。

一般的には「名前だけしか知らない」という感じではないでしょうか。

家慶に関するwikiは、こちらから

父である家斉が50年も将軍職にあり、44歳で家慶が将軍となった後も権勢をふるったので、確かにできたことは少なかったかもしれません。

 

 

人事力は大きな能力

ただ、私は家慶は決して凡庸な人だとは思いません。

それは、阿部正弘を抜擢した人事が凡庸ではとてもできる技ではないからです。

若干24歳の阿部正弘を老中に抜擢、これも本来寺社奉行の次は大阪城代か京都所司代がポストなのに、一足飛びに老中にしたのは確固たる意志がなければできないことです。

その2年後には、なんと26歳の若さで老中首座、今でいう首相に大抜擢しています。

『人の能力を見抜き、そして抜擢する』、今の教育環境では全く評価の対象にはなりませんが、この能力は知能指数より優れた力だと個人的には思っています。

 

 

忠固と家慶

前任者の父・家斉の60年に及ぶ治世により横行した腐敗を水野忠邦に一掃させ、水野がダメとなると若い阿部を登用し頻発している外国船に対する対処(ペリー来航前)をさせる。

その人事だけで偉大な功績を残した、と言って過言ではないと思います。

では忠固とはどうだったのでしょう。

水野忠邦の老中首座時代に寺社奉行を罷免された忠固、それを寺社奉行に再任させ大阪城代に昇進させたのは家慶なのか・・・

それを示す資料は現時点では見当たらないので、その人事は家慶というより阿部正弘が行った、と考えています。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

開国の父 老中・松平忠固

PAGE TOP

© 開国の父 老中・松平忠固史 2024 All Rights Reserved.