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直前に結ばれた天津条約

日米修好通商条約締結直前に結ばれた条約があります。

それが天津条約です。

1856年に始まったアロー戦争で英仏連合軍が広州を占領し、その後さらに北上して天津を制圧したため、清朝が天津でロシア・アメリカ・イギリス・フランスの4国と結んだものです。

この条約は広範囲な外国の特権を規定しており、それ以後の不平等条約の根幹となりました。

 

 

天津条約の内容

1. 軍事費の賠償(イギリスに対し400万両、フランスに対し200万両の銀)
2. 外交官の北京駐在
3. 外国人の中国での旅行と貿易の自由、治外法権
4. 外国艦船の揚子江通行の権利保障
5. キリスト教布教の自由と宣教師の保護
6. 牛荘(満州)、登州(山東)、漢口(長江沿岸)、九江(長江沿岸)、鎮江(長江沿岸)、台南(台湾)、淡水(台湾)、潮州(広東省東部、後に同地方の汕頭に変更)、瓊州(海南島)、南京(長江沿岸)など10港の開港
7. 公文書における西洋官吏に対して「夷」(蛮族を指す)の文字を使用しない
8. 貿易関税は輸出入とも5%

清朝はロシアと1858年6月13日に締結、その後6月18日にアメリカと、さらに6月26日にイギリス、6月27日にフランスと締結しました。

 

 

より有利な条件で

日米修好通商条約締結は、西暦でいうと7月29日、わずか1か月後。

それは、清国が占領されその結ばされた不平等条約の内容を精査した上で締結したものであり、しかも賠償金などはもちろんないどころか、貿易で利益が出るように20%の関税率で合意させるという快挙ともいえる内容でした。

 

 

 

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