開国の父 老中・松平忠固

【805】第1話 B1 『渡辺崋山』≫

○江戸城の堀(朝)
荘厳にたたずむ江戸城。
見える門は桜田門である。
『桜田門』
桜田門から三宅坂へ目線が進む。
『三宅坂』
そして半蔵門に至る。
『半蔵門』
堀の向かい側、現在の国立劇場敷地に建つ屋敷。

 

○三宅家・上屋敷・外観(朝)
『三河田原藩三宅家・上屋敷』
声「出頭を命じられた?」

 

○同・応接間
上座に藩主が座り、下座に平伏している家臣。
凛々しい若い君主、三宅康直(28)。
『三宅康直』
藩主に報告している渡辺崋山(46)。
『渡辺崋山』
康直「それはまことか、崋山」
崋山「はい。殿におかれましてはこのようなことになり、誠に申し訳なく・・・」
康直「それはよい。で、何ゆえじゃ」
崋山「分かりませぬ」
康直「なに?分からぬとはどういうことじゃ」
崋山「いきなり今朝、出頭要請がございましたので」
合点がいかない康直。
康直「なにか心当たりはないのか」
崋山「皆目見当もつきませぬ」
康直「・・・」
不安な表情の康直、そして崋山。
N「渡辺崋山、三河田原藩家老。藩政改革に尽力し、藩主である三宅康直の信頼も厚い。飢饉対策を話し合う会合から始まり、やがて日本の海防問題まで議論するようになる『尚歯会』では、蘭学者の高野長英や小関三英らをはじめ、幕臣の江川英龍や川路聖謨、水戸藩士・藤田東湖らと付き合い、蘭学者たちの指導的存在となっていた」
崋山の描いた絵画。
月下鳴機図。
市河米庵像 天保8年(1837年)の作。
N「また崋山は、田原藩士であることよりむしろ画家として名をはせており、陰影を巧みに用いて高い写実性を実現しているかつて例のない独自の画法は、西洋画の影響があったと思われるが、当時から崋山の肖像画はたいへんな人気だった」

 

○江戸城・堀の道
再び三宅藩邸から堀の道を通り、現在の丸の内警察署から和田倉門、現東京駅大丸に至る。

 

○北町奉行所・外観
江戸北奉行所の門構え。
『江戸北町奉行所』

 

○御白洲
最上段には町奉行をはじめとする役人が座る「公事場」と呼ばれる座敷。
最下段には白い「砂利敷」が設置され、その上に敷かれた莚(むくろ)。
その間に、2段に分かれた座敷の縁側。
その内の上段に崋山が座っている。
公事場の最上段の少し下座に与力が座っている。
白洲には同心が着座し、突棒・刺股・拷問用の石が見える。
崋山「いったい何事でございましょう」
与力「訴えがあったのだ」
崋山「え?、何の訴えですか?誰ですか?訴えたのは」
与力「訴えたのは花井という役人だ」
崋山「花井?、ああ、最近尚歯会に参加したあの・・・」
与力「嫌疑は三つある。一つ、蛮学を信仰し儒学を不当におとしめていること、一つ、小笠原諸島に渡航計画を立てていること、一つ、乱を起こした大塩平八郎に通謀していたこと、とのことである」
あっけにとられる崋山、笑い出す。
崋山「お話になりません。どれもこれも根拠のないこと、二つ目・三つ目などでっちあげもいいとこだし、一つ目は別に儒学を貶めているつもりなどありませぬし、そもそもそれは罪ではありますまい」
暗い表情の与力。
与力「詮議は北町奉行・大草安房守高好様直々に行われる。詮議の間はあがり屋に入ることになろう」
崋山「・・・」
一抹の不安を感じる崋山。

 

 

 

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