開国の父 老中・松平忠固

【809】第1話 C1 『奏者番』≫

○江戸城・西ノ丸
赤ちゃんが抱かれている。
N「阿部正弘は文政2年(西暦1819年)10月16日、備後福山藩主・阿部正精の五男として江戸西の丸屋敷で生まれた」
少年時代の阿部。
夜、灯りの中で本を読んでいる。
家督を相続している阿部。
奏者番、寺社奉行の任命を受けている阿部。
N「天保7年(西暦1836年)12月25日、17歳で家督を相続し、3日後の12月28日従五位下伊勢守に叙任、以後天保9年(1838年)19歳で奏者番に、天保11年(1840年)21歳で寺社奉行にと、異例の速さで出世し今に至っている」

 

○姫路城・外観
美しい姫路城の天守閣。
N「一方、先日寺社奉行を解任された松平忠優は、文化9年(西暦1812年)7月11日、播磨姫路藩主・酒井忠実の次男として江戸で生まれた」

 

○城内
少年時の忠優。
剣を振り、馬を駆り、周囲の少年たちのリーダー的振る舞いをしている。
N「酒井家は、大権現家康の側近・徳川四天王と言われた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の中でも最古参の、譜代大名筆頭という名門中の名門である」
叙任する忠優。
N「文政12年(西暦1829年)9月、上田藩第5代藩主・松平忠学の養子となり、文政13年(西暦1830年)4月20日に家督を継ぎ、同年従五位伊賀守を叙任する。 天保5年(西暦1834年)22歳で奏者番、天保9年(西暦1838年)26歳で寺社奉行となる」

 

○江戸城・外観

 

○江戸城・大広間
百人余りの大名が鎮座している大広間。
最上段に鎮座する徳川家康。
N「幕府の政府閣僚はすべて譜代大名によって構成される。徳川に反旗を翻す可能性のある外様大名は一切幕政には参加できない。また徳川御三家・御家門・御親藩も幕閣には参加できない。それはお家騒動の勃発を未然に防ぐ開祖・家康の知恵でもあった」
家康に平伏する百名を超える大名たち。
N「そして、譜代大名が幕政に参加するのに初めて就任する役職が奏者番である。役目は将軍と大名・旗本との連絡役であるため、大目付・目付と並ぶ枢要な役職であったし、何より奏者番は幕閣で出世していくための出世の登竜門であったのだ」
将軍へ報告している奏者番。
N「奏者番に定員の定めはないが20名から30名とされ、その内の4名のみが寺社奉行を兼任する。そこからさらに京都所司代・大坂城代を経て、最終的に老中になるというのが幕府における出世の道だ」
出世の系図。
忠優、そして阿部。
N「26歳で寺社奉行となった忠優の出世はかなり早いが、それを21歳という若さで達成した阿部はまさに異例のスピード出世と言えよう」

 

 

 

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