開国の父 老中・松平忠固

【132】時の老中首座・水野忠邦は外国に無関心だった≫

忠固は失脚、鳥居耀蔵は出世

忠固が寺社奉行を罷免され、一方で鳥居耀蔵は勘定奉行に就任します。

それも、目付・北町奉行を兼帯したままで、です。

それは、警察庁長官と最高裁判事と財務大臣を同時に兼務することを意味します。

どれだけの権限が集中するか、考えなくとも分かることでしょう。

これまで罪をでっちあげて検挙し有罪に陥れてきた者が、その運営予算まで握ってしまうのですから。

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【131】忠固(忠優)、失脚≫

エース候補だった忠固が失脚

忠固(当時の名は忠優)は政争に敗れ、寺社奉行を罷免されます。

本来、忠固は幕府政権のエース候補だったのではないでしょうか。

なぜなら、忠固は譜代筆頭・播磨姫路藩主・酒井雅楽頭家出身です。

しかし逆に、酒井家のままでは政権内閣である老中には基本なれません。

酒井家がなるのは大老であり、基本大老は名誉職、実務を行うのは大臣である老中であり首相は老中首座なのです。

大老家出身で老中の手前まで出世してきた忠固、老中首座として長期政権を担える存在だったことが伺えます。

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【130】恐るべき佐久間象山の『海防八策』≫

佐久間象山が海防八策を上書

高島秋帆が捕縛され、西洋否定派が支配的になる中、容認派の老中・真田幸貫の家臣で洋学研究を指示した佐久間象山が意見書を提出します。

それが下記の『海防八策』です。

アヘン戦争の最中、ペリー来航11年前のことでした。

1 全国海岸の要所に砲台を築き、大砲を据え置く
2 オランダ貿易で使う銅をセーブして、西洋式大砲を数千門造る
3 西洋式の大船を製造する。江戸を廻る商船を難破されないようにする
4 海運に関して人選をしっかりし、異国人と通商はもちろん、全てにおいて不正を厳しく取り締まる
5 西洋式を倣い、艦船を製造し、操縦法を習わせる
6 津々浦々まで学校を整備して、教育を盛んにする
7 賞と罰を明らかにして、日本人の団結を図る
8 優秀な者を推挙する法を興す

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【129】実はオランダ語の日本語≫

高島秋帆逮捕で忠固がキレる

蛮社の獄で忠固に近い渡辺崋山ら蘭学関係者が処罰されたのに続き、洋式大砲の実演演習を行った高島秋帆までも捕らえられます。

崋山らの罪状も『政権批判』などという強引なものでしたが、秋帆の罪状はもっとひどく『出島のオランダ人たちと共謀した謀反の疑い』などという根も葉もないものでした。

これで忠固もキレたのでしょう、政権内での鳥居耀蔵との対立は頂点に達します。

そして、老中首座・水野忠邦は忠固を罷免し、鳥居を昇進させます。

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【128】露寇、ロシアからの武力攻撃で≫

『異国船打払令』から『薪水給与令』へ

アヘン戦争を受けて幕府は『薪水給与令』を発します。

外国船に対して「薪(燃料)水(食料)は与える』という穏便政策です。

その前は『異国船打払令』という過激政策だった訳ですが、実は『薪水給与令』が出たのは初めてではありません。

外国船に対する法律ができたのは、1792年にロシアのアダム・ラスクマンが根室に来航し、通商を要求したのがきっかけです。

当然のことながら幕府は拒否して帰したのですが、その後すぐ1804年にニコライ・レザノフが来航します。

頻発してきた外国船に対し穏便に対応するため1806年にできた法律こそ、第1回目の『薪水給与令』だったのです。

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【127】警察庁長官と最高裁判事の地位を得た鳥居耀蔵≫

警察庁長官+最高裁判事の地位

蛮社の獄で蘭学者たちを弾圧した鳥居耀蔵は、江戸南町奉行に出世します。

目付兼務での就任なので、警察庁長官の地位を得ながら最高裁判事長の地位まで得たことになります。

無実の者を陥れて政治的・生命的に抹殺することも、より容易となりました。

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【126】日本初のシンクタンクが潰された『蛮社の獄』≫

渡辺崋山の所属した『尚歯会』

尚歯会は、時の蘭学の主流であった医学・語学・数学・天文学にとどまらず、政治・経済・国防など多岐にわたる研究をしたグループで、日本初のシンクタンクと言える集団でした。(表向きは『老人の歯』の会)

  •  渡辺崋山・・・田原藩家老、忠固と懇意
  •  高野長英・・・シーボルトの弟子、蘭医

  『NIPPON/シーボルト著』

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【125】南京条約、香港がイギリスへ≫

香港がイギリスに

アヘン戦争によって圧倒的に敗北した清国がイギリスと結んだ南京条約は、下記の内容です。

1.香港島割譲
2.賠償金2,100万$を四年分割で支払う
3.広州、廈門、福州、寧波、上海の5港開港
4.公行(指定貿易組合)の廃止による貿易完全自由化

香港が今の中華人民共和国に返還されたのが1997年、記憶に新しいですね。

近代史はまさにアヘン戦争から始まり、そしてそれは現在も継続しているのです。

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【124】アヘン戦争から日本の近代史が始まった≫

アヘン戦争勃発

1840年に勃発するアヘン戦争、この戦争によって日本、そしてアジアの近代史が始まったと言えるでしょう。

アヘン戦争については教科書でもガッツリ習うので、このサイトでは省略します。

ここでは教科書で触れにくい企業活動から眺めますが、すると重要な企業2社が目に入ります。

一つは、【123】日本初の外資系企業でも述べたジャーディンマセソン商会。

もう一つが、サッスーン商会です。

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【123】日本初の外資系企業は≫

日本に初めてやってきた外資系企業

日本に初めてやってきた外資系企業をご存知でしょうか。

横浜が開港して第一着に入港したのは、オーガスチン・ハード商会という会社です。

貴金属商社なのですが、これは条約交渉をしたアメリカ総領事ハリスが、日本の小判(金)が世界と比べて異常に安かったことに目を付け、商会の支配人ドールを副領事にして換金で儲けようと連れてきた会社でした。

実際の商取引をする外資系企業は開港第三着・ジャーディンマセソン商会。

この会社こそ日本における外資系企業第一号、と言えるでしょう。

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