開国の父 老中・松平忠固
【008】御子孫からのメッセージ≫
忠固の次男・忠厚
松平忠固の次男・忠厚も波瀾万丈の人生を送った偉人です。
明治五年、21歳で米国に留学したまま米国に残り、米国人女性と結婚した初の日本人となります。
そして、あのニューヨークのブルックリン橋の設計に携わり、ペンシルバニア州の公式エンジニアとして日本人初の公職者となります。
【007】映画脚本≫
ドラマ・映画脚本を執筆
少し角度の違う開国史を知ってもらう為に脚本を書きました。
第1話 運命の出会い
第2話 黒船来航
第3話 孤立無援
第4話 ペリー上陸、開国
第5話 うつけ将軍
第6話 ロシア・イギリス、襲い掛かる列強
第7話 松平忠優、更迭
第8話 上海にて
第9話 盟友、死す
第10話 二重の陰謀
第11話 日米修好通商条約締結
最終話 万感の横浜開港、そして
中日新聞に掲載
60分×12話のドラマ脚本を2時間の映画版にまとめ、コンクールに出品しました。
残念ながら受賞はなりませんでしたが、作品を出品したおかげで拓殖大学の関良基先生や明倫会布施会長様、赤松小三郎研究会様や上田郷友会様などなど、本当に貴重なご縁を頂くことができました。
2016年(平成28年)7月7日には中日新聞にて脚本作品のことを取り上げても頂きました。
この場をお借りして、改めて心より御礼申し上げます。
【002】松平忠固とは≫
18歳で上田藩主、36歳で老中に
松平忠固(忠優)は、文化9年(1812年)7月11日、姫路藩酒井家の二男として江戸で誕生。
17歳の時に上田藩主・松平忠学の養子となり、18歳で家督を継ぎ藩主となり上田に初入部します。
【001】サイトについて≫
その名が知られていない松平忠固
松平忠固をご存知でしょうか。
幕末、日米和親条約・日米修好通商条約を締結した際の幕府閣僚・老中で、ペリー来航時に交易による積極的開国を主張した唯一の閣僚であり、上田藩主として名産の生糸を輸出する道筋をつけ、昭和にまで至る日本を支える生糸貿易へと導いた人物です。
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