開国の父 老中・松平忠固

【841】第3話 C1 『ロシアとの領土交渉』≫

○ユーラシア地図
ロシア国旗。
ロシア帝国全図。
16世紀から17・18・19世紀の領土推移。
ロシア領地に色がだんだん塗り広がっていく様子。
N「ロシア帝国。この国が広大な領土を獲得するに至る東方進出が活発化するのは、17世紀のことである。西暦1636年イヴァン・モスクヴィチがロシア人として初めてシベリアを横断してオホーツク海及び太平洋側に到達。18世紀に入るとヴィトゥス・ベーリングがユーラシアと北米との間の海峡(ベーリング海峡)にたどり着き、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認した」
ベーリング海峡やアラスカまでロシア領となる。
N「ロシア人が短期間で太平洋まで至ることができた理由は、シベリアの大河の支流から支流を伝うことで地形的障害なく東へ向かうことができたことが非常に大きかった」
シベリアの大河をつないだ東西連絡路図。
中央アジアのイルクーツク。
バイカル湖。
スタノヴォイ山脈。
ウラン・ウデ、チタ、ネルチンスクを経てアルグン川へ。
この時点ではアムール川北側及びウスリー川東側は清国の領土だった。
N「日本との関係は、西暦1701年頃日本人漂流民伝兵衛らとウラジミール・アトラソフが出会って初めて日本に具体的に関わる。元禄13年(西暦1700年)幕命により松前藩は『十州島(北海道)、唐太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)』からなる蝦夷全図と松前島郷帳を作成、1706年頃にそのカムチャッカはロシアによって占領される。1739年にベーリングの探検隊が房総などに来航し、この頃までには日本も北方に『オロシア』という国があることを認識するようになる」
カムチャッカ半島。
日本の『十州島(北海道)、唐太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)』の地図。

 

○蝦夷地の地図
北海道の地図。
N「プチャーチン来航時、蝦夷地は松前藩所領の地であった。関白・豊臣秀吉、征夷大将軍・徳川家康から蝦夷地の支配権、交易権を公認された蠣崎氏(かきざきし)が江戸時代に改名し松前氏となったが、18世紀に入ってロシアとの衝突や事件がたびたび起こった為、西暦1799年から1821年まで一時幕府の天領となるなど、すでにロシア帝国は幕府の警戒の対象となっており、この間、西暦1806年にレザノフ事件が起こっている」

 

○長崎
出島や停泊している異国船が見える。

 

○出島内・オランダ商館・外観
商館の前には。ロシア国旗が掲げられている。

 

○応接室
プチャーチンと水野らが交渉している。
北海道・サハリン・千島・カムチャッカの地図が机に広げられている。
プチャーチン「通商と同時に、わがロシアと貴国の国境線を画定したいと思っています。国境はウルップ島とイトゥルップ島の間、そしてサハリンと蝦夷地の間でいかがであろうか」
水野が通詞に確認する。
水野「イトゥルップと択捉のことか」
通詞「そのようです」
水野「サハリンとはどこだ、樺太か」
通詞「おそらく」
水野「ばかな。貴殿の国がこちらにやってきたのは今よりわずか80年前のことでござるぞ。我が国はすでに少なくとも200年以上前より松前藩領となっておる。松前藩領は十州島、樺太、千島列島、勘察加となっておる。何を勝手なことを言っておる」
通訳や部下と相談しているプチャーチン。
プチャーチン「領土というのは、国際的に領有を主張して初めて領土と認められるのです。あなた方は世界に向けて領土宣言をしましたか?」
水野「うっ・・・」
プチャーチン「してないですよね?それでは領土とは言えません。我々はサハリンにおいて領土宣言をしています。コルサコフにはすでに軍事基地があります」
驚く日本側。
通詞「軍事基地・・・」
水野「コルサコフとはどこじゃ」
地図で指さすプチャーチン。
指さした場所は宗谷岬のすぐ上に位置するサハリン南端の土地。
水野「アニワか?、アニワには日本の番屋があるぞ」
通訳の言葉に首を振るロシア人たち。
水野「アニワの隣?、クシュンコタンか」
うなずくロシア一行。
水野たち「・・・」
驚きを隠せない日本側。

 

 

 

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