【910】第7話 D2 『勅旨』≫
○江戸城・門外
石河が門から外に出ていく。
N「安政2年(西暦1855年)8月9日、忠優老中更迭から5日後、石河政平が勘定奉行を辞任」
斉昭が家定から辞令を受けている。
N「そして、同月14日に徳川斉昭は政務参与として三度参与に任命される」
○京都御所
壮麗なる京都御所。
N「翌9月18日、阿部は京都の朝廷に日米和親条約等の締結について報告をした」
○謁見の間
玉座に座る孝明天皇(24)、顔は見えない。
脇に関白の鷹司政通。
下座の三名が報告をしている。
中央に所司代・脇坂安宅。
右に禁裏付都築峰重、左に京都町奉行浅野長祚。
『禁裏付 都築峰重』
N「報告をした禁裏付・都築峰重は、下田奉行としてアメリカとの交渉に加わった一人であり、現地の経緯を細かく説明をした。京都への備えとして、阿部は都築を禁裏付に異動させていた」
また、もう一人報告している浅野長祚。
『京都町奉行 浅野長祚』
N「さらにさかのぼれば、嘉永5年に浦賀奉行・浅野長祚を京都奉行に転じている。彼は詩文に優れ、書画の鑑賞を通じ、蔵書数万巻と称される、当時幕府内では最高の教養人であった。在任中、洛中洛外の山陵を調査、『歴代廟陵考』を著していて、朝廷の覚えもよかった」
洛中洛外の山陵。
公家と詩歌を興じる浅野。
N「都築も浅野も、当時まだ政には全く無縁であった京都でさえも、いかなる状況になろうとも対応できるように計算された阿部の周到な人事であったのだ」
孝明天皇、言葉を述べる。
孝明天皇「露西亜、英吉利、亜米利加の条約書を叡覧に供したるに、幕府従来の処置振殊に叡感あらせられ、宸襟を安んじたまう。老中の苦心、主職の尽力、深く宸察あらせらる」
平伏する三名。
N「孝明天皇は『老中の苦心、主職の尽力』を最高に評価されたのであった。この出来事は他の誰にもなし得ることのできない阿部の比類なき能力をもっとも現わした出来事かもしれない。阿部亡き後の幕府と京都のたどった歴史を見れば痛切に実感するところであろう」
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