【912】第7話 D4 『餞別』≫
○江戸城・外観
照り付ける真夏の太陽。
蝉がみんみん鳴いている。
○江戸城・謁見の間
忠優が家定に挨拶をしている。
家定は豆を煎っている。
忠優「上様、この伊賀、7年にわたり幕政を司る一員として上様のお力となれたこと、望外の至りにございました」
家定、興味なさそうに豆を煎りながら
家定「伊賀、お主、前に余に言ったことがあったな」
忠優「はっ」
家定「水戸のことは心配するな。任せろと」
忠優「・・・」
家定「水戸に負けて尻尾を巻いて逃げ出すか、お主も意外と口ほどにもないのぉ」
家定、おどけた顔が一変、鋭く忠優をにらむ。
忠優「・・・」
忠優も家定を凝視する。
忠優「ご安心下さりませ。懸案事項は全て片づけてあります。しばらくは落ち着いておりましょう。その間は着々と準備できます。我が日本国を富国強兵すること、その富国にしろ、強兵にしろ・・・」
家定「・・・」
忠優「講武所・海軍伝習所・洋学所の創設で強兵は目途が付き申した。しからば次にやるべきは・・・」
【911】第7話 D3 『老中首座、交代』≫
○江戸城・大広間
斉昭や慶永、斉彬ら諸侯が並ぶ中で、最前方で平伏している堀田正睦。
老中首座を任命されている。
堀田の後ろに並ぶ阿部ら老中陣。
N「10月9日、阿部正弘は堀田正睦に老中首座を譲った」
阿部「・・・」
無表情で任命式を眺める阿部。
〇講武所・海軍操練所・洋学所
真新しい講武所。
海軍操練所。
洋学所。
N「阿部と忠優が目指した軍制改革は、同年2月5日に講武所が、7月22日海軍操練所が、8月30日に洋学所がそれぞれ開設された。後に講武所は日本陸軍、長崎海軍伝習所は日本海軍、洋学所は東京大学の前身となる」
【910】第7話 D2 『勅旨』≫
○江戸城・門外
石河が門から外に出ていく。
N「安政2年(西暦1855年)8月9日、忠優老中更迭から5日後、石河政平が勘定奉行を辞任」
斉昭が家定から辞令を受けている。
N「そして、同月14日に徳川斉昭は政務参与として三度参与に任命される」
○京都御所
壮麗なる京都御所。
N「翌9月18日、阿部は京都の朝廷に日米和親条約等の締結について報告をした」
○謁見の間
玉座に座る孝明天皇(24)、顔は見えない。
脇に関白の鷹司政通。
下座の三名が報告をしている。
中央に所司代・脇坂安宅。
右に禁裏付都築峰重、左に京都町奉行浅野長祚。
『禁裏付 都築峰重』
N「報告をした禁裏付・都築峰重は、下田奉行としてアメリカとの交渉に加わった一人であり、現地の経緯を細かく説明をした。京都への備えとして、阿部は都築を禁裏付に異動させていた」
また、もう一人報告している浅野長祚。
『京都町奉行 浅野長祚』
N「さらにさかのぼれば、嘉永5年に浦賀奉行・浅野長祚を京都奉行に転じている。彼は詩文に優れ、書画の鑑賞を通じ、蔵書数万巻と称される、当時幕府内では最高の教養人であった。在任中、洛中洛外の山陵を調査、『歴代廟陵考』を著していて、朝廷の覚えもよかった」
洛中洛外の山陵。
公家と詩歌を興じる浅野。
N「都築も浅野も、当時まだ政には全く無縁であった京都でさえも、いかなる状況になろうとも対応できるように計算された阿部の周到な人事であったのだ」
孝明天皇、言葉を述べる。
孝明天皇「露西亜、英吉利、亜米利加の条約書を叡覧に供したるに、幕府従来の処置振殊に叡感あらせられ、宸襟を安んじたまう。老中の苦心、主職の尽力、深く宸察あらせらる」
平伏する三名。
N「孝明天皇は『老中の苦心、主職の尽力』を最高に評価されたのであった。この出来事は他の誰にもなし得ることのできない阿部の比類なき能力をもっとも現わした出来事かもしれない。阿部亡き後の幕府と京都のたどった歴史を見れば痛切に実感するところであろう」
【909】第7話 D1 『堀田備中守』≫
○忠優邸
忠優を上座に、下座最前列に井戸と石河。
二列目に川路と水野。
三列目に井上が座っている。
井戸「そういうことにございましたか。にしても、阿部様のご負担が倍増するのは必定、先日も体調を崩されたばかり。心配です」
忠優「うむ。それは当然考えておる。実は阿部殿も老中首座を退き、他の者に矢面に立ってもらう段取りじゃ」
一同「え?」
石河「阿部様が首座を降りられるのですか。それはさらに心配が増すこと。阿部様以外首座が務まるとは思えませぬが」
水野「いったいどなたが次の首座におつきになられるのですか」
忠優「堀田備中守殿じゃ」
井戸「堀田様・・・」
石河「備中守・・・、佐倉候・・・」
水野「東随一の蘭癖大名の佐倉候か・・・、なるほど」
川路「堀田候ならば異国との交渉を前向きに進めることは間違いありませぬな」
井上、冷静な表情で
井上「恐れながら」
皆、振り返り井上を見る。
井上「堀田候では阿部様の代わりは務まりますまい。大老を輩出した堀田家で元老中とはいえ、現在詰めている溜間は一代限り、門閥の巣窟・溜間の抑えも疑問な上、申し訳ありませんが、御老公ら御親藩や薩摩様ら外様勢を抑えられるとは到底思えません」
【908】第7話 C4 『更迭の秘密』≫
○阿部邸
阿部がふせっている。
目が覚める阿部。
側には謐子。
阿部「ふせってしまったか。わしは何日くらい休んでおった」
謐子「ようやく熱も下がったばかりにござります。まだしばらくはお休みになられた方が」
阿部「いや、寝ている場合ではないのだ。忠優殿が窮地なのでな。わしがいないと」
謐子「はぁ、ですが忠優殿は老中を辞められたとかとお聞きしましたが」
阿部、がばっと起き上がり
阿部「なんだと。それはまことか」
謐子「はい。なんでもご老中更迭とのお話で城中は騒ぎになっているとか」
阿部「更迭?、更迭と申したか。老中首座である私が指示していないのに誰が更迭できるというのか。いったい何が起きている!?こうしてはおられぬ・・・」
起き上がろうとする阿部。
しかし、ふらつく。
謐子が抱きかかえる。
謐子「まだ無理にござりまする」
それでも立ち上がる阿部。
阿部「いや・・・」
寝室を出る阿部。
【907】第7話 C3 『老中更迭』≫
○江戸城・外観
『安政2年(西暦1855年)8月4日』
声「上意である」
○同・大広間
下座で座っている忠優と乗全。
通達者から忠優と乗全に対し上意が下逹されている。
通達者「松平伊賀守忠優、並びに松平和泉守乗全を老中より罷免する」
無表情で平伏する忠優と乗全。
横にいる牧野、久世、内藤の老中陣。
首座の席に阿部はいない。
牧野、隣の空席の阿部の席を眺め、さみしそうな顔。
牧野「・・・」
【906】第7話 C2 『松平慶永』≫
○忠優邸・大広間
忠優が商人の佐七・茂平を迎えている。
忠優「できぬか」
佐七「い、異人と商い・・・、でございまするか」
茂兵「異人を見ただけで目が腐り、近くに寄れば不治の病にかかると言いますが・・・」
忠優「ばかもの、そんなものは迷信じゃ。我を見よ、異人と会っても死んでないではないか」
佐七「・・・、恐れながら、それは御殿様のご器量が豊かゆえのこと・・・」
茂兵「我ら一介の商人では、とてもそれを打ち払う力はございませぬ・・・」
家老「殿、この者ども、佐七や茂兵は江戸での販売に専念させ、異人との件はまた他に人選をしては」
忠優「・・・そうか、もうよい。下がってよいぞ」
佐七「では、異人と商売しなくてもよいと」
うんざりという顔で、下がれ下がれと手を振る。
忠優「・・・」
頭を抱える忠優。
そこへ小姓が歩み出る。
小姓「殿、御来客です」
忠優「客?」
○応接室
応接に待っている慶永。
【905】第7話 C1 『世論囂々』≫
○江戸城・外観
○同・将軍謁見の間
家定が最上座に座り、両側に諸国大名が座る中、真ん中で老中が報告している。
中央に牧野、忠優、乗全、久世、内藤。
阿部はいない。
乗全「以上の通り、7月22日、長崎におきまして海軍伝習所を発足させました。オランダ国より蒸気外輪軍艦を寄贈させ、観光丸と命名し、これを練習船として、速やかに教練を開始する運びにございまする」
家定「そうか。よいことぞ」
老中陣を眺める。
忠優をちらりと見る。
忠優はいつも通りの表情。
家定「・・・」
牧野「これもひとえに前軍政参与水戸斉昭公のご尽力あったならばこそ。一言付け加えさせて頂きまする」
斉昭、フンという表情。
その斉昭の表情を見る家定。
そして、忠優を見る。
家定「・・・」
【904】第7話 B4 『海軍伝習所』≫
○長崎
出島の様子。
西洋軍艦スームビング号が停泊している。
『長崎』
出島の脇に建てられた海軍伝習所。
黒い軍服を着た大勢の日本人たちが行列をなして伝習所の門をくぐっている。
N「安政2年(西暦1855年)7月22日、長崎にて海軍伝習所が発足した。オランダ人を教官として、寄贈された軍艦スームビング号、後の観光丸を練習船とした軍艦の操縦術をはじめ語学・造船・医学などの教育が行われた」
永井とクルシウスやオランダ人が並んで立っている。
N「初代総監に永井尚志、幕府伝習生は第一期生に37名、翌年の第二期生が12名、第三期生で26名が入校した。一方諸藩からは計128名が入校し、そのうち外様である薩摩・肥前・筑前・肥後の4藩で8割を占め、譜代は1割にも満たなかった」
オランダ人と話している赤松。
握手をして別れる。
声「へぇ、もうオランダ人と話ができるのかい」
赤松、振り返ると勝麟太郎(32)。
【903】第7話 B3 『十八・松平』≫
○水戸藩邸
斉昭が引きこもっている。
使いが来ても、手であっちいけと追い払っている。
○江戸城・大広間
譜代大名が10数名集まっている。
それらに向かって忠優と乗全が上座に、脇に井戸と石河が座っている。
乗全「ここにお集まり頂いたのは、譜代大名の中でも特に幕府二百余年の歴史を支えてこられた十八松平の面々であります。いまメリケン・ロシア・エゲレスと直接交渉した担当から説明させたように、この未曽有の危機を乗り切るためには特にここにお集まりいただいた松平家のご協力が欠かせません。ぜひお力添えをお願いする次第でござる」
しーんとする場。
落ち着きなく左右を見回したり、顔を下に背けたり、やる気のない面々。
乗全「・・・」
忠優「・・・」
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